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2006.01.29

道頓堀2

赤い灯~青い灯~道頓堀~の~♪

知ってる人は知ってる知らない人は知らない道頓堀の歌でお送りいたします。昨日は道頓堀は人の名前であり、発展もしていない地域であったということをお話したと思うのですが、それではそんな道頓堀が発展するきっかけとなったのはなんなのでしょう。

道頓堀櫓町

道頓堀川の南岸に、1653年に「芝居名代5棟」が公認されました。(当時は国に認められた劇場にその証拠としてが立つのです)そして櫓町と呼ばれ歌舞伎や見世物、義太夫節などの娯楽で栄える芝居町となったわけです。

YAGURAっていうのはこんなもの

ですが、現代では劇場などをさびれた所に作ったりすることはあんまりないですね。ある程度栄えているところにありますよね。 

この頃の芝居町というのは風紀の乱れを引き起こす要因として恐れられ蔑まれていました。娯楽というのは少なからず人身に刺激をもたらすものです。それによって反幕思想などが起こってくることを憂えたりしたのですね。また、笑いは下品なものであるという武士道の思想も関係していると思われます。

というわけで、当時の大阪の端っこに芝居町が出来たわけです。

道頓堀五座

芝居小屋が道ト(どうぼく)氏によって大阪の中心から南部に外されてから、現代に残る名劇場三座の礎と、現存はしてませんが当時にぎわった二座。合わせて五つの芝居小屋がオープンしました。

前者三座は中の芝居『中座』、角の芝居『角座』、大西の芝居『浪速座』であります。少なくとも中座と角座は有名ですね(^^)

それぞれの場所がお互いに張り合い、お客は芝居の合間にその辺りの水茶屋(カフェホテル?)で一服して、一日ゆっくりと芝居を楽しんでいたようです。

現在は時間の都合上、歌舞伎、文楽といったものの演目(狂言ともいうんだけど)は全部ではなくもっとも盛り上がる部分を取り上げて行ないますが、当時はぶっ続けの通し狂言(休憩はあったでしょうが)でした。五時間六時間芝居を見ていたわけです。

町人たちの豊かな暮らしを象徴していますね。

タイムイズマネーな現代においてはありえないことです。羨ましいですね。こんな風な余裕があるくらい当時はある種平和であったといえるでしょう。

心に余裕がないと芸能娯楽の発展はありえないのですから。

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